2014年6月24日火曜日

Watch Dogs内のシカゴパンク 198x-199x

Watchdogsのサウンドトラックは風変わりだ。GTA3以降、あの手の都市犯罪を題材としたビデオゲームがふんだんに版権曲を投入するのは当たり前となったが、その選曲は舞台となる時代を演出する為に用いられるパターンが多い。GTA Vice Cityでは80年代のヒットチャートをフィーチャーしていたし、その元ネタであるScarfaceの版権ゲームが出た時も同様だった。他に顕著な例としては70年代と現代のNYを行き来するDriver Parallel Lines(Suicide(Alan Vega)がプレイヤーと共に70年代とゼロ年代をまたいで活躍するのが笑えるぞ)や、50年代ヒットチャートと共に戦後のホットロッドカルチャーを叙情的に描いたMafia 2なんかが挙げられるだろう。

対してWatchdogsのカーステレオから流れるサウンド、道行く人のスマートフォンに保存された楽曲の多くはシカゴという土地に根ざしている。シーンのクラシックからゼロ年代のニューカマーまでヒストリカルにシカゴという音楽都市の側面を描いている。そんなわけで今回はWatchdogs採用曲から僕の大好きなシカゴパンクを紹介する。

Naked Raygun
裸の光線銃ことNaked RaygunはSantiago DurangoとPezzati兄弟を中心に80年頃に結成、弟のJeff PezattiとDurangoは後にSteve Albiniと合流してBig Blackも結成している(日本ではこっちの方が圧倒的に知名度が高いな)このバンドはシカゴパンクというシーンそのものであり、特徴であるBuzzcocksStiff Little Fingersに影響を受けたメロディアスな楽曲(あんまり言及されないが同郷の先人であるCheap Trickの影響も強い。彼らはBig in Japanの代表的なバンドだが、現代では地元シカゴですらその名前は殆ど挙がらないのだ…)、Jeff Pezattiの遠吠えの様な歌唱はその後続のシカゴパンクバンドに引き継がれていく。あまりに特異なサウンドの為に80年代US Hardcore(特にボストンとかLAの速いやつ)の文脈から切り離されて語られる場合が多いガラパゴスシーンでもある。

Soldier's Requiem 1987

前述した初期メンバーの内、Durangoと兄のMarco Pezzatiはかなり早い段階でバンドを脱退している。Durangoもシカゴパンクシーンの重要なギタリストであったがNaked Raygunとして関わった音源は84年のデビュー作、Basement Screams EPぐらいしか残っていない。しかし幸運な事に、Durangoに替わって加入したJohn Haggertyは正真正銘の本物だった、彼こそシカゴパンクシーンで最も偉大なギタリストの一人だ。

Haggertyはアルバムとしては1stから4thまでNaked Raygunのサウンドを支えるのだが、Watch Dogsに収録されているSoldier's Requiemはそんな彼のソリッドなギタープレイが遺憾なく発揮された屈指の名曲だ、そしてここでもメインVoxのPezattiはとにかく吼える(Howl)。シカゴパンクはロンドンのパンクスがOi!と叫んだように、必死に辞書引き探した小難しい言葉を用いずとも、人間がそれぞれの感情を大きく口に出す最も単純で最も美しい方法を見つけていた、シカゴのパンクスは遠吠えをするのだ、オォッーォホオォーォッー。

87年の3rdからユニバーサル傘下のCarolineに移籍した彼らだったが、89年にHaggertyが脱退し、90年に通産5枚目のアルバムを出して解散。HaggertyはRaygunと並ぶシカゴパンクの雄Effigiesに参加していた実弟Joe Haggertyを呼び出し、Bhopal Stiffsの後期VoxだったLarry Damoreに合流しシカゴパンクの新たなる魂、Pegboyを結成する。Raygun自体もHaggertyはいないんですがゼロ年代に再結成してますね。

Screeching Weasel
シカゴのラモーンイタチことScreeching Weaselの登場だ。Ben WeaselとJugheadを中心に80年代中頃に結成。この2人はデビュー当初(1st)はよくあるアメリカンハードコアみたいな曲をプレイしていたのだが、彼らのルーツたるニューヨークのRamonesとカリフォルニアのオブスキュアパンク超人Metal Mike Saunders(Angry Samoans)に回帰すべく、そのミックスみたいな音を模索しだし、見事、傑作2nd Boogada Boogada Boogada!(この中のSuper Market Fantasyなんかはミックスの果てに素晴らしいオリジナルを掴んでいる、単音ソロが最高だ!)を88年、Punk House 7'を89年にリリース、そんでもってその年に電撃解散!シカゴの伝説となった。

しかし彼らはなんとカレントバンドなのだった。91年に復活、95年に解散、96年に復活、2001年に解散、最近もまた復活したが、現在まで解散と復活を常に繰り返している。2001年までは一応JugheadとWeaselという創始者2人のバンドという体だったが、今やってるのはBen Weaselの新バンドと言ってもいいだろう。彼らはRaygun周辺のシカゴパンクコミュニティとは違った経路で自分達のスタイルを探し形成してきた。例えば先に述べたようにRamonesとSamoansのようなちょっと似ているけど、住んでる場所も違うし、本人達もそんなに接点がないような所をシカゴで独自にすり鉢に入れて飲み込んでいたのだ。

My Brain Hurts 1991

Watch Dogsに収録されているMy Brain Hurtsは1回目の再結成の時に出した復活1発目のアルバムからの曲で、自身のバンドSludgeworthが新世代のシカゴパンクバンドとして絶大な人気を誇っていた(しかし例に漏れず即解散した)Dan Vapidが参加するなどメンバーのラインナップも楽曲の出来もWeaselの歴史の中でベストに近い。アルバム全体の印象だと高速ラモーンポップパンクなのだが、この曲だけ聴くとその印象は薄いかな、まぁともかく良いです。

解散中もBen Weaselはじめ、流動的すぎるメンバーの多くは他の活動を精力的に行っていた。Weaselは特にMRRのコラム執筆や他バンドのプロデュースなど後続のサポートに尽力した。その影響範囲はシカゴを飛び越えた国際的な規模であり、広義のシカゴパンクシーンにおいて最も成功したのは彼らの遺伝子かもしれない。2回目の再結成はクソだったけど今のWeaselは結構良いしね。

The Vindictives
僕はこのバンドの楽曲がWatch Dogsに採用されたのが未だに信じられないのですが、同時にシカゴパンクシーンですら彼らを過小評価しているとも思うのです。Vindictivesはたぶん90年くらいに結成したRaygun譲りの正統なシカゴパンクの血とRamonesの唾をぶっかけて踏み潰したヒキガエルです。Screeching Weaselの最初の解散に伴いフラついていたBen Weaselをギターに迎え、この画像真ん中にいる全く知性を感じないメガネの男Joey Vindictiveが中心となってスタートします。ジョーイという名前であるから勿論Ramonesに彼はWeasel同様多大な影響を受けていました。

初期のVindictivesは真のシカゴパンクでした。悔しいながらめちゃくちゃカッコいいです。ヘタクソなドタバタした性急なパンクビート、怒りに満ちた抗議の詞と、メロディックな歌唱、そして言葉ではない咆哮がありました、これはシカゴパンクそのものです。懸念すべき点はJoey Vindictiveと言う人の歌声があまりにもヒキガエルじみていた事でしたが、1st 7'のGet Lostなどのフラストレーションを吐き捨てるような歌唱に限ってはそのマヌケっぽさはさして気にならず、むしろ上手い方向に働いていたような気もするのです。

Invisible Man 1991

Watch Dogsに収録されている内の1曲は2枚目の単独7’の曲で、Ben Weaselがまだいる時期の音源ですね。バックコーラスまでJoeyにつられてかアホみたいな歌い方してるのですが、この合唱が僕はとても好きです。しかしBen WeaselはScreeching Weaselの復活と共に程なくしてVindictivesを脱退します。しばらくしてバンドが迎えたギタリストがMike Byrne(a.k.a. Mike Geek)でした。同郷シカゴのSmashing Pumpkinsに同姓同名のドラマーがいますが彼は別人です。Mike Byrneは地元ではお調子者の変人のように思われていますが彼も正真正銘の本物でした、現在に至るまで数多くのバンドで速弾きやテクニカルなリフを無駄に披露しています。

Alarm Clocks 1995

Naked Raygunのような偉大な先人を差し置いてなぜVindictivesの楽曲が2曲も入ってるのか解せないのですが、Watch Dogsには95年の単独7'からMikeがギターを弾くAlarm Clocksが収録されています。単音ソロといえばWeaselのお家芸でしたが変人Mikeのそれはイタチに引けを取らない見事なものでした。ついでにこんな具合で中期のVindictivesはヒキガエル声でアホなポップパンクを歌うバンドになったのでした、もはや怒りのパンクフロッガーだったかつてのヴィンヂクはいません、この後はアホみたいな全曲カヴァー曲しかないアルバムとアホみたいなRamonesを丸々1枚カヴァーしたアルバム、7インチ作品のコンピレーションを出して96年にバンドは解散します。

んで、バンドは中期の路線のまま98年くらいに再結成します…が自身のレーベルで、自分達の初期音源やら、いろんなバンドのLive音源7’シリーズを出していたVML Records(Vindictives Music Limited)の脱税がバレてレーベルが同時期お取り潰しとなるのでした、さらばVML、歳入庁の魔の手からは逃れられない!しかしご安心ください、Teat Productionsという屋号に変えて中身はそのまんまの所が今も再発や新作のリリースを細々やっています。なんだかんだで彼らもカレントバンドなのでした。


90年代後半からのバンドは気が向いたら書きます…

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ugh